旅の供に

 秘する花を知ること。秘すれば花なり、

秘せずば花なるべからず、となり。

 

 この世阿弥の言葉を現代風に訳すとだいたい以下のようになる。

 

 秘しておくことが人を魅了する花につながる。役者を志す者はそれを知らなければならない。

 

「秘すれば観客を惹きつけられる。秘しておられないのならば惹きつけることができない」のだ。

 

 この頃合いと分別を知るのが、人を惹きつけることにおいて殊更に重要なのである。

 

 一切の芸事、様々な芸道において、それぞれの家門で秘伝としているものが有るのは、秘伝とすること自体に大きな効果があるからなのだ。ゆえに秘伝をつまびらかにしてしまえば、それは「些細なこと」に成り果てる。

 このような出来事自体を「些細な事だ」と言う役者は、いまだ「秘伝」とすることの効果の大きさを知らないからである。

 

 花の口伝書において、

「単に珍妙なことをやるのが面白いのだ」と役者側も観客の側も思っていれば、「今から珍妙な芸を演じる」と席で待ち構えている観客に、珍妙さから来る新たな感動が沸き起こることはないであろう。

 なぜなら芸の中で観客をどのように感動させるのか?という役者の意図がつまびらかになっていないからこそ、演じるたび新たな感動を与えることが出来るのである。

 

 だからこそ優れた役者の舞台で観客は「彼(彼女)は優秀な役者だ」とただ単に役者の演じる姿のみを見て感嘆し、役者は観客に芸を演じる自身の意図を決して悟られはしない。

 これこそが役者として最良の花なのである。

 斯様に、人の心に思いもよらない感動を催す手立てを芸の「花」と言う。

 

『コンサートが終わった後に、お客さんから「やっぱり歌うまいわね!最高」と口々に言われる。

歌手としてそのように言われてしまうとがっかりする。ああ、わたしはまだまだなんだな と反省してしまう。お客さんに「歌がうまい」とか、感じられないようにただ歌を聞いてもらう。そうならないとダメなんだ・・・』と。

美空ひばりさんが、神様岡林信康さんにそう言っていたという。

 

 技巧をこらしたあとが見当たらず自然なさま 

という意味で天衣無縫という言葉がある。

 

 それでも相手に伝わってしまうとしたら、前世以前からなどの特別なつながりがあったということなんだよね という事。

 あなたへ

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