難を転じて福となす

 何度も膝を揃えて畳んで座っています。

 

 普段は椅子に座ったり、ぺたんと座っているから負担が大きいのです。

 脚の形が変わってしまうような事があったら嫌だな、と時々考えました。わたしも。


 緋牡丹や鬼龍のように啖呵も切ります。堂にいった姿から、きっと後々の由縁になるでしょう。

 楽しみが増えました。ありがとうございます。


 もう飾りものや造りものの花ではないな。

 それはでも元々。生まれつきかな。

 一輪挿しの花。

 物珍しくもなく、奇をてらうこともなく。ただ当たり前に毅然と咲いている花。

 

そういう花が好きな人は元々たくさんいたから。知った人の胸に突き刺さるのです。


 今日はその花がひとまず見納めの日でした。いままでになく自然、力強く咲いていました。

 

 途中で見納めとならないように、最終という言葉を使いました。

途中でなんて嫌だから。嫌だよね。


 そうならないように。大切に大切に。大事に大事に。いたわりをもって。


 最終て、そういう意味じゃないんだけどな。遂げました。って時なんだけどな。


 でも昨日は赤子のように眠りました。よかった。

 南天、すごい暗示。余計なことは考えない。頭を丸めたほうがいいのかもしれない。目立たないように気配を消したい。