公私混同

 一緒にしてくれるな、と思う。

 強く言ってやりたい。

 

 公の場所で発せられたものには、

それ以上でもそれ以下でもない

事務的な感覚しか残さない。

 

 それは、それ以上でもそれ以下でもない

事務的な感覚でしか周囲に受容されないのだろう。

 

 それに虚言が混じっていることを周囲がすでに

感じ取っているとしたら、手遅れかも知れない。

 

 一視同仁なんて。

 外に出して表現すべき事だろうか。

 

 ならば、と周りは思うだろう。 

 

 誰にでも優しい心を持つとされる人間は、

誰にでも平均的に冷たい。

 結局は自分以外を愛せない人間なのだと、

いずれ手放されるだろう。

 

人それぞれであるから、わたしはそれを

否定はしない。

 しかし、それが『私』である人ならば、

わたしは深く関わろうとは思わない。

 

 これからの様々な大事な局面で、大概の人々から

魅力的な人だとも感じ取られる事など出来はしまい。

 

 琴線に触れるとは、そういう事だ。

 人がそれぞれ持ち合わせている感性を

侮ってはいけない。

 表面をさらっと撫でただけの関係性では、

通常はそれに相応のものしか得られない。

 感動もなく、感動も与えられない。

 

 深い思い入れのある人間、厚みのある

人間とそうでないものの差はいずれ顕かに

されていくのだろう。もうなっているのかも。

 甘やかされた子どもが大人になってたどる道。