好きだなぁ
その奇妙な現象は、南の島に住まう娘にしてはあまり相応しいものではないな、と思ったのでかなり茶化したような感じでコメントしたのだった。
あとから出来上がった映像を観て足元を確認したら、やはりちょっともこもこしていて不自然な感じがしたものだが、きっとそんな事はわたし以外の誰も気にしてはいない。
茶化したふうな感じが伝わったからか表に出る事はなく、その内容も今となっては確認する術がない。あとになって、健康に配慮しているんだね、とかなんとか、フォローはしたんだと思う。
考えてみれば、その時はじめて通じたのかも知れない。
身体一つで社会を生き抜いている、と言ってもわたしのそれとは全く意味がちがう。
身体と言うか、その生命体がその場になければなにも話が始まらない。
大切だとか、大事なとか言っても、わたしが考えている、想像しうるものともだいぶ訳がちがう。
命の火、と言うものがあるのなら、それを毎日何本かずつ消して行くような事をしているのだ。
それは、途中で補充可能なものなのだろうか。
わたしが余計な事を考えてみたりする事によって、その大切な火がたくさん消えてしまう日があるのだと考えてしまうと自分の不始末さを恥じ、自分をやめてしまいたくもなるけれどどうにもならない。
せめて平穏無事な日々を。
願うばかりだ。