ハッピーエンド リバイバル

 まだまだ子どもと呼ばれる時分から、

ハッピーエンディングの映画は苦手

だったような気がする。

 中学の時に自分で大はまりしたのが、

そのころすでに名作と呼ばれたような

古い映画で、

ウォーレン・ビーティーとナタリー・ウッド

共演した「草原の輝き」。

 スコット・F・フィッツジェラルドの原作、

ロバート・レッドフォードが主演した

華麗なるギャツビー」。

 どちらも詩的な映画で、詩の一節のような

セリフやシーンが印象に残っているし、

字幕スーパーの対訳が本当に素晴らしかった。

 「草原の輝き」は、ワーズ・ワースの詩から。

 

草の根の輝くとき

花美しく咲くとき

ふたたびそれは還らずとも

嘆くなかれ

 

 高校の文学の授業でこの詩に関する

シーンがあって、ナタリー・ウッドが泣く。

 

 二つの映画はハリウッド映画だが、

エンディングはもうはっきりいって微妙。

 

 「華麗なるギャツビー」なんかはもう

はっきりいって悲劇だからね。

 それでも彼は短い生を必死で生き抜いた、

 愛する者のために?自分のために?

とか、愛する者のために、そこまでするか?

 そういう再興や再生への執念のようなものが

好きだったな。好きだったな、と言って

過去形ではないけど、愛した女のために

なにかしてあげたい、という心根が生への

モチベーションならいつまでも持っていなければ

ならないんじゃないかな とか。

 

 それで、中学のクリスマスのころに

ロードショーで封切されたのを見に行ったのが

「愛と青春の旅立ち」でしたね。

 淡いというか幼いというか初々しいというか、

微笑ましいというか、まぁデートでしたよ。

 

 この映画は、紛れもないハッピーエンド。

その時、思ったのが、感じたことは

特にないというか良さが分からなかった。

もう照れが入ってしまって、観終わった後も

ずっとムズムズしてしまっていた。

 女の子は嬉しそうにハンバーガーを

食べていたけど、わたしは、こんなに

話しが上手く行くのって良くないんじゃない?

って女の子に意味不明な質問をして、

場をしらけさせるというより凍らせてた。

 

 女の子は、途中うまくいくかどうか分からなくて

親友が死んじゃったりとかしたし、彼女との

けんかやお互いの誤解なんかも乗り越えて

最後はね・・・というような具合で納得していた。

 女の子は男の子より早熟というか、やっぱり

大人になるのが早いんだなと思った。

 プロセスも結果も両方楽しんでるから。

 と、言われているような気がした。

 

 それからハッピーエンディング好きな

女の子とのデートの日々も終わり、

本格的にフレンチフィルムノワール

観るようになってしまった。

 

 誰かさんが大嫌いな暗黒映画だね。

 

 なんで好きだったのかな?と考えると、

フィルムノワールにはカタルシスが

有ったんだね。

 それは死であったり、逃亡であったり

別離であったりするんだけど、現況からの

変化や解放って言うのが、なりたくて

仕方がない大人の男への少年の羨望

と言うのかな。

 まぁそれはたぶん錯覚なんだけどね。

 毎日を精魂込めて生きていくってのが

分かってなかったから。

 やっぱりうわべだけ、スタイルと言っても

自分のものになっていないから。

 

 それから数年たったのち、テアトル池袋で

リバイバルで流していた「愛と青春の・・・」を

今度はひとりで観に行った。

 併映は「ホワイトナイツ」だったかな。

 テイラー・ハックフォード特集みたいな?

 この時はひとりだったので、前よりも集中して

観て、なんだか個人的にも少しは山あり谷ありを

経験したし、良さが分かるようになっていた。

 この時にはじめてハッピーエンドな映画って

いいものだな、と思うようになった。

 そのあとにドルトン・トランボの名作

「ジョニーは戦場へ行った」を神楽坂だか

飯田橋名画座で日本でも久々に流すという

のでこの頃の親友氏と二人で観に行った。

 いわゆる、びみょうだなこれ、って映画だった。

 もしかしたら少し前なら映画を観に来ていた

反戦ヒッピーの生き残りみたいな大学生と

意気投合してたのかも知れないけど、

「ジョニーは・・・」はちょっと暗すぎるだろ と、

少し前に「愛と青春の旅立ち」を観た後の少年は

思ったのだった。

 

 そのあとは、暗かったり明かるかったりだが、

恋愛映画をその時々の彼女がいようが

いまいがとにかく一人で観に行くということをしてきた。

あ、これちがう って気まずさが無いからいい。

 ひどい男だったんだな。わたしは・・・

 

 リバイバルって言葉はホントにもう懐かしい響きに

なっちまった。

 VHSやDVDという副産物的なコンテンツが

製作側の収入に直結するのは分かるんだけど、

リバイバルでもなんでも「映画館へ行く」という

習慣を国民一人当たり年に20本は映画館へ

通っていたという日本人を変えてしまったことは

ちょっと残念な話ではあるよね と。

 

 今はもう、いまの仕事やくらしをさておきそちらへ

一目散に助けに走れないのがつらいよね。

 吉祥寺にだって7、8軒は映画館有ったんだから。

 

 やれることからやっていくってことと、それに

出来る範囲でささやかに関わっていくということだね。

 こないだ斎藤工くんがやっていた移動映画館の話し。

あれはすごいよかったなと思う。

 たぶん表に出ていないだけで、もっと他にも

内部での取組とかたくさんあると思うのですが。

 取組を見せるのか、結果を見せるのか、ってね。

 演者の美学に関わってくる話だから難しいよね。

 

あしたはまた北国へ出張。

列車が雪どまったりしないように。