前歴なし
前科、深刻な前歴があったら会社と社会にいられなくなる事もあるのは当たり前の話。
それ以前に、若い人なら就職の際に墓穴を掘ったものだなぁと後悔や感慨深く過ごしこそすれ、笑って済まされる話じゃなくなる。それ以前にそもそも親に会わす顔が無い。
人は特段の事情が無いなら正義に生きていくべきだし、出来るならそれを具現化、体現している人のそばで生活するのがいい。
自分に前科がついたり、深刻な前歴が残ることになって、その後の自分に対応、対面する人がどういう人になるのかということだが、まともな人々は対応や対面それ自体を仕事、生業にしている人。
仕事や生業以外で自分に対応、対面する人はまともじゃない人々、という事になってしまう、二極化するという事が多い。
仕事上の表面的な付き合いに窮屈さと絶望を感じ、まともじゃない人々との交際がはじまり、再犯に至るというケースが無くならない。
でも、まずは自分が変わらないとダメなんじゃないかな?
わたしは前科も深刻な前歴もない代わりに地味にチマチマと毎日やっているたい!
(なぜか博多弁)
思い起こせばわりあい自分でも誇れるのは、すぐに変われる、と言うこと。
サーキットで転倒してアスファルトに叩きつけられて、ああダメだったのだな、と痛感して、また起き上がって違う方法で走り始めることを繰り返し。
地方への転勤生活の当初、なかなかそれまでの自分ややりかたを受け容れてもらえず、ああまた、今までのじゃダメなのだなと自分を変節させる。転勤先での事はまぁ特に仕事だから。
そんな具合でどんどんすぐに変わっていくように自分を仕向ける。
変わり身速いと評す向きの人もいるけど。
人々の大部分に可視化されているのはあくまで表面上のこと。核は変わってない。
逆に言うと、ここが残っていれば全部変わってもオッケーという事だとも言える。
可視化されていない部分で変わっているのが残っていく核の部分。
今の仕事のひとつ。
わたしは被ばく線量登録管理制度に基づく手帳発行機関の手帳発行者、放射線管理者。
多くのセンシティブな個人情報を毎日扱っている。
来月初に原子力発電所へ視察に向かうので、自作自演で手帳をつくった。
管理区域で仕事(作業)をした経験のないものは記帳の際に「前歴なし」と記す。
わたしは管理区域での作業経験は無いので、前歴なし、なのであった。
いろんな仕事があるなぁと。
自分の価値観では窺い知ることのできない特殊な仕事。
秘密ばかりでストレスのたまる仕事。
知らない人の期待に応える仕事。
お利口さんがバカみたいにしていなければならない仕事。
結果は出さないとまずいのですが、今のわたしは仕事に頓着しない。
仕事が趣味、という人とは友達になれない。
宝くじ6億当たっても仕事し続ける?と聞きたい。
そうなったらそうなったで他の事を始めたいと思うのが人間だから。
仕事が趣味なんてね。ちょっと違うんじゃないかなぁ
と、ちょっと思った。