矛盾の連続なり

 松下幸之助翁が80歳で引退なさる時に、日経ビジネスの取材を受けた際の締めの言葉。今日の日経ビジネスオンラインでバックナンバーとして紹介されていた。

 「何も持たないのがいちばん楽でっせ」

 下記の引用部は引退後に何をしたいか?との問いから。

 健康にならないとあきまへんな、歩かないかんな。と答えたのちの話。

 

 ぼくは42年間、車に乗っているんですよ。大阪では知事さんが1号で、ぼくが59番目ですわ。タクシーに乗っているときは非常に安易なものです。何も心配せえへん。衝突してけがせえへんかぐらいのものだ。それが、自分の自動車に乗っていると、人にけがさせへんかとか、いろいろなことを考えて、タクシーに乗るよりも気を使いまんな。

 私は自動車を買って初めて、持てる者の悩みを知ったんですわ。早くいうと、何もないのがいちばん楽でっせ。持ってみればそんなもんです。だからあまり人をうらやんだりせん方がよろしおますわ。

 新しいものを欲しがったり、今よりももっとよいものを欲しいと思い、そして手に入れる。そうなると概ね幸之助翁の言説のような悩みを持つことになる。

 その通りだなと思う。

 わたしは幸之助翁のつくった信条・綱領・七精神を10年間勤務先で唱和した側の人間だ。

 

 たしかに幸之助翁の気づきは尊い。

 でも、でもなぁと考えてしまう。企業や個人の消費・物欲に、ある一面では間違いなく支えられて来たであろう企業の創業者がこれを言うかなぁ?と感じてしまう側面もある。

 それに、時に80年生きてきた人間の悟りの金言を、われわれこれからも生き続け、悩み苦しみを生業にして行くであろう側の人間が早々に得心してしまっていいのだろうか?という疑問とともに、俗人に実感のある言葉として感じられるだろうかとの疑念も湧いてしまう。

「だからあまり人をうらやんだりせん方がよろしおますわ。」これとセットだからこそ生きてくる言葉なのだろう。

 むしろ本当に言いたいのはこちらのほうなのかな。と無理やり曲解してみる。

 

 そんな経営の神様の金言を目の当たりにし最近はたと気づいたこと。

 それは、お金の心配を深刻にはしないという事。

 使ったら無くなってしまうような額のお金しか持たないのなら心配なんかしないほうがいいなと。そう考えるようにしています。

 使っても使ってもなくならないお金を持つ人たちが、お金の心配、守ること増やすことを考えたりするのは仕方がないにしても。

 ただ、心配しないのと散財や無駄遣いするのとは同じではないから。

 そもそもお金で手に入るものって知れてるからね。

 命とか歳月っていうのはお金ではどうにもならないから。

 

 お金が無くなりそうになったら、またはそうなる前に頭や体を使って働けってことなんだろうな。

 だからお金という生活や経済の価値概念から離れていてなおかつ充足できる生き方っていうのは尊いよ。

 べつに逃げている訳ではなくて。

 自分の価値=お金 というのは虚しい。

 心は自由だから。その連鎖から抜け出るのもの心の自由だから。

 なーーんて無理筋な感じの色気も食い気もないようなつまらないお話なのでした。